私さえ我慢すれば、上手くいく?
日本では、古くから我慢や忍耐、遠慮などを美徳とされてきました。
我慢することは、良いことだと思い込んでいるのですにゃ🐈
そうです。結構幼い時期から「我慢しなさい」と育って来た人が多いのです。
吾輩たちはついつい我慢してしまいます。
我慢することは、本当に良いことなのでしょうか?
吾輩も、少し前まで自分では知らず知らずの間に、我慢する習慣になっていました。
しかし、我慢することは、とにかく最悪で、自分の人生を生きる上で、最も悪いことだと、しみじみとわかりました。
我慢ほど自分に失礼なことはないと言っても、過言ではありません。
スマートに生きようとか、良い人になろうとか、マナーを守らなければとか、自分を良く見せたいとか、世間体を気にするとか、そんなことより“自分を大切にすること”が遥かに重要なことなんだと気づいたのです。
それを教えられたのは、吾輩にとってなんだか苦手だなぁと思う人々からでした。
理不尽に思えることや悔しいと思うことを経験させて貰わなければ、気づくことが出来ない「貴重な経験」をプレゼントしてもらったのです。
■我慢するとは?

■自分は我慢して、これがいいと言えない。
■自分は我慢して、これが好きだと言えない。
■自分は我慢して、これが欲しいと言えない。
■自分は我慢して、これは嫌だと言えない。
■自分は我慢して、これは欲しくないと言えない。
■自分は我慢して、なんでも相手に合わせてしまう。
こんな風に、ついつい「我慢」していると、知らず知らずの間にたくさんの「ストレス」を溜め込んでしまうんです。
■我慢がダメな理由
我慢には、常にネガティヴな感情があるように思います。
我慢したのにとか、私だけ我慢しているとか、何か恨めしいような気持ちがあるように思うのです。
我慢するとは、「本当は〇〇なのに、自分の気持ちを抑え込んでしまうこと」なのですにゃ🐈
自分の心に素直に従っていいのです。
我慢しなくてもいいのです。
それは、わがままになったり、傲慢になったりすることではありません。
もっと自分を大切にして、直感を信じたり、「自分はどうしたい?」「自分はどう思う?」を素直にありのままに表現して、行動することだと思います。
他の人と違うことを恐れなくていいのですにゃ🐈
むしろ、違うことが普通なので、お互いに違うことをもっと楽しめばいいのです。
我慢して誰かに合わせるのでは、気持ちの中にネガティヴな感情を溜め込んでしまいます。そんな時には、「我慢する」変わりに「譲ること」にすると→気持ちもなんだか晴れ晴れとしています。
我慢して付き合う必要もありません。
我慢することは、自分にとっても相手にとっても、とても失礼な感じがするからです。
我慢するくらいなら、付き合う必要はないと思います。
仕事でどうしても付き合う相手を選べない時でも、我慢するのではなく、仕事をより円滑にする為のコミュニケーションだと考えるといいと思います。
また、好きなお酒を我慢したり、ダイエットだから甘いものや炭水化物を食べないように我慢すると言うことがあります。
こんな場合でも、完全に我慢するのではなく、「嗜む」とか「調整する」くらいに余裕がある方がいいとさえ思います。
なぜなら、好きなものを完全に断つと、かなりのストレスになり、「リバウンド」になり兼ねないと思うからです。
■思い込みを手放す

■自分を大切にする生き方!や思い込みを手放そうという記事でも紹介しましたが、「〇〇でなければならない」という思い込みを少しずつ手放していきましょう。
我慢することは、何よりもあなた様自身に対して、更にはあなた様と関わる人に対してもいいことではないと思うからです。
■自分はどうしたいのか?
■自分はどう思うのか?
■自分は何が好きで、何が大切なんだろう?
「我慢する」のではなくて、「等身大の自分を大切にして、認めて、もっとリラックスして、自由に生きられるんだ」と改めて実感してみるのも悪くないのではないでしょうか。