生きていると「疲れた…」「辛い…」「もう嫌だ…」となってしまう時もありますよね。
もし、あなた様が今「人生に疲れ、辛くて、苦しい」と落ち込んでいるのなら、もしかすると「いい人」になり過ぎているのかもしれません。
疲れたり、辛く感じたり、苦しいと感じているのは「あなた様が変わる為のサイン」だと吾輩は思うのです。
■いい人をやめる

吾輩たちは、日々の生活の中で「何かを目指したり、こんな風になりたい、憧れの人のようになりたい」と少しずつ自分を成長させています。
毎日が平凡で同じように感じていても、色々な人間関係や情報、体験を通して少しずつ良くなりたいと日々変化しているのですにゃ🐈
立派な人間になりたいとか、優しい人になりたい、余裕のある寛大な人間になりたい、人によって様々だと思います。
また、いつも笑顔で感じがいい人や普段から温厚で優しい雰囲気の人もいい人かもしれません。
ここでいう「いい人」は、決してダメなことではありません。むしろ「立派」なことだと思います。
けれども、「いい人」になることで、あなた様が人生に疲れたり、辛くなってしまうのでは、それはいい事だとは思えないのです。
■いい人をやめるとは?

例えば…こんな思い込みがあるのかもしれません。
■いい親でありたい(いい父親、いい母親でありたい)
■いい友達でありたい
■いい恋人でありたい
■いい子供でありたい
■いい社員でありたい
■いい学生でありたい
こんな風に「いい人」であることにしがみついていると、全く気が抜けないし、相当なストレスを溜め込んでしまうのです。
更に「自分が思う良い人」を他の人に対しても求めてしまう危険性もあります。
■「いい人」でいるのは、なぜ?

なぜ「いい人」になるのでしょうか?
■人から後ろ指を指されたくないのかもしれません。
■人から「嫌われる」のが怖いのかもしれません。
■人から「いい人」だと思われたいのかもしれません。
■「いい人だね」「いい子だね」と思ってくれる人達の期待を裏切るのが怖いのかもしれません。
■他人からよく見られたいという見栄があるのかもしれません。
もし、このようなことが「自分が心から望んでいること」だとしたら、ストレスなんか溜まりませんよね。
もっと、イキイキしていると思います。
■「いい人」を諦める

「ストレス」を溜めて、疲れ果てるくらいなら「いい人」を諦めてもいいのかもしれません。もっと自分が嬉しいこと、楽しいこと、笑えることに注目して「自分の心に素直になる生き方」にシフトするのです。
他人の顔色を伺ったり、世間体を気にしたり、他人の目を気にしたりするのをやめるのです。
「他人がどう思うのか?」ばかり気にしても、幸せにはなれないのです。
「他人がどう思うか」これ程不確かで、いい加減なことはないと思います。
他人の感じ方は、その人自身の感情や経験、性格、或いは状況などによって常に変化しているからです。
■良い人を諦めるとは?

いい人を諦めるというのは、もちろん悪い人になることではありませんよね🐈
■他人の目を気にしない(気にし過ぎない)。
■他人から後ろ指さされるという思い込みを手放して自由になる。
■他人から嫌われるかどうかを心配しない(全ての人に好かれることはないを受け入れる)。
■他人の評価、どう思われるか?ではなく「自分がどうしたいか?」「どう思うか?」を大切にする。
■見栄を張るのをやめて、いつも等身大でいればいい。(よく見られたいを諦める)。
いくら「いい人だね」と言われても、自分の心が晴れやかでないのなら、そんな「評価」にどんな価値があるのでしょうか?
「人生に疲れた」「辛い」「もう嫌だ」と思う時は、「『いい人』になり過ぎていないか?」と立ち止まって考えてみてください。
今まで他人の目を気にしたり、どう思われるかを気にしたり、嫌なことでもついついOKしてしまうのをやめる時期が来たんだ思うのです。思い切って「いい人だった自分」にさよならして、今度は「自分を大切にする生き方」を選ぶのです。