■承認欲求は必要なのか?嫌われる勇気を持つ⁈

前回の記事→承認欲求「認められたい 心理」で承認欲求には、他者承認と自己承認の二つがあり、どちら共に上手く付き合わなければ厄介な欲求であることがわかりました。

他者承認の欲求が強くなり過ぎれば、他者から認められないと失望したり、落ち込んだり、逆に認められると調子に乗ってしまい易くなるからです。その為「自分の軸」がブレ易く、不安定なのですにゃ🐈

アドラー心理学では「承認欲求」を否定しています。「承認欲求」は必要ないといいます。

アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、1870年2月7日 – 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。           wikipediaより引用

■嫌われる勇気を持つ?

2013年末に発売されて大ベストセラーとなった「嫌われる勇気」は、もう手に取って読み終えたという人も多いことと思います。

人生は実にシンプルであると始まる本書は、「哲人」と「悩める青年」の対話形式で書かれていて、青年の様々な問いに哲人が回答する形で進んでいきます。

嫌われる勇気を持つことは、良い人(都合がいい人)をやめて、「他人がどう思うのか?」や「人の目を気にする(気にし過ぎる)」のをやめて、自分の心に素直になって「自分の軸で生きる生き方」だと思います。

わざわざ嫌われることをしたり、感じ悪い人になることではないですよね。「嫌われてもいい」とヤケになったり、「自己中心的になる」ということではないのですにゃ🐈

他人から「嫌われるかどうか」或いは「好かれるかどうか」に注目するのをやめて「自分の生き方(自分が信じる生き方)」にもっと注目して、自分の良いところと悪いところを認めて「自分の人生を謳歌することなんだろう」と思います。

早速、「承認欲求」がなぜ必要ないのかについて見てみましょう。

■「承認欲求」は必要ない⁈

吾輩たちは、誰でも多かれ少なかれ「認められたい気持ち」つまり「承認欲求」を持っているように思います。

やはり、褒められれば嬉しいものですし…

けれども、アドラー心理学では「承認欲求」を否定しているのですにゃ🐈

あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないのです。私も他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など満たす必要はないのです。

他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。

もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。

他者(自分以外の誰か)の期待を満たすために生きてはいけないと言うのですにゃ🐈

確かに、他者から「認められたい」と承認を求めて、評価ばかりを気にしていると、最終的には「他者の人生を生きることになる」というのはそうかもしれません。

吾輩たちの今を生きるためには、他者の人生を生きないためには、どうすればいいのでしょうか?




■課題の分離

他者の人生を生きないためには、課題の分離が必要だと言います。

自分の課題と他者の課題を分けるのです。

「他者の課題には踏み込まない、或いは自分の課題に踏み込ませない」と聞くと、なんだかあまりにもドライだと感じてしまうかもしれません。

けれども、同じ時代を生きる同志として、「お互いに『自分の課題』を生きて行く」そういうことなのかもしれません。

そして、課題の分離の話はこう続くのです。

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。

課題を分離することは、自己中心的になることではありません。むしろ、他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想なのです。

■自由のコストは、他者から嫌われること⁈

「確かに嫌われることは苦しい。できれば誰からも嫌われずに生きていたい。承認欲求を満たしたい。でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由極まりない生き方であり、同時に不可能なことです。

自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです。

他者から嫌われることが、自由だと言います。

これは、一体どういうことなのでしょうか?

吾輩たちは、わざわざ嫌われるために生きているのではないですよね。

嫌われることが自由だなんて、なんということなんだ!と思ってしまうかもしれません。

「嫌われることが自由」というのは、「嫌われるかどうかを気にしないで、自分が信じる道を歩いて行くこと」だと思います。

「嫌われる」とか「嫌われてもいい」とかそんなことに「こだわる」のをやめて、もっとのびのびと自由に生きることだと思います。

決して「嫌われる」から自由になるのではないですよね。「嫌われるかどうか」は相手が決めること。「好かれることもあれば、嫌われることもある」と受け入れることなのです。

なぜなら、「嫌われない」ために生きて行くことは、他者の顔色を伺い、ビクビクしながら生きることになり、これほど生き辛いことはないからですにゃ🐈

何しろ、吾輩たちは一人ひとりみんな価値観が違い、幸せも十人十色です。おまけに体調やら、バイオリズムやら、感情やら、色々な要素があって、その人に好かれるか、嫌われるかなどを考えて行動しても、自分の期待通りとはいかないのですから。

■承認欲求は本当に必要ないのか?

「承認欲求」、特に「他者承認」の欲求が強すぎると、他者の期待に答えるために生きることになり、これはもう本当に生き辛いことがわかりました。

もう一つの「承認欲求」である「自己承認」は、自分自身を認めること、今の自分に満足している状態のことでしたね。他者からの承認がなくても、自分のことを認めて、自分のことを丸ごと受け入れることですにゃ🐈

自分で「自分を認め受け入れること」ができるようになると、「他者承認欲求」は自然と減少してあまり必要のないものになりそうです。

■納得がいくものだけを取り入れる

アドラー心理学の考え方は、一人ひとりの受け取り方によって様々ですにゃ🐈全てを鵜呑みにするのではなく、自分にとって納得がいくものがあれば、取り入れていけばいいと思います。

なぜなら、自分が納得しないことをすることは、それもまた「他人の軸」で生きることになってしまうからです。

吾輩たちは、生きて行く中で色々な経験を通して、今はわからなくて、腑に落ちないことが、いつかわかる日が来るものです🐈

同じ本を読んでも、同じ話を聞いても、その人の経験や価値観によって受け取り方は千差万別で、同じ人でも年齢を重ねるごとに考え方は変化していくでしょう。

今の自分にとって、納得できることを試行錯誤しながら、試していけばいいのですにゃ🐈

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