日本では、昔から「恥をかくこと」を嫌い、恥を重んじる文化が根付いていると思います。
礼儀や作法と同じように、「恥じらい」もまた日本人の奥ゆかしさの代表的な特徴かもしれません。
それは、良い意味ではシャイな日本人の特徴だと思います。
けれども、「恥じらい」と「恥をかくこと」は違いますよね。
「恥をかくこと」に対してあまりにも神経質になると、吾輩たちの行動にブレーキを掛けて、挑戦することを奪い、何も出来なくなってしまうのです。
吾輩たちが恥をかくことを嫌うのは、和を重んじる文化であり、また恥をかいて目立つことはある意味で「イジメや村八分にあうきっかけになり兼ねない」そういう経緯があったからなのかもしれませんね。
それは、現在でも引き継がれているように思います。
うまく馴染めないとイジメを受けたり、それ故に他人と違うことを極端に恐れてしまう。恥をかくことを極端に嫌うのでしょう。
けれども、本当に恥をかくことはそんなに卑屈になることなのでしょうか?
長い人生の中で、常に失敗をしないで、恥をかかないで一生を終える人などいるのでしょうか?
吾輩たちは、何かをやろうとする時どうしてもよりスマートに、上手くやりたいと思ってしまいます。
出来れば、「恥をかきたくない」という思いがあるからでしょう。
ちっぽけなプライドや見栄が、そうさせているのかもしれません。
「自分以外の誰かにわざと恥をかかせる」というのは、問題だとは思います。
けれども、自分自身が自分の為にかく恥は、後に「財産になるんじゃないか?」って思うのです。
まずは、「恥をかくこと」のメリットを考えて見ましょう。
■恥をかくことで得られること(恥をかくことは怖くない)

■恥をかくことで収穫がある
恥をかくことは、全く恥ずかしいことではありません。むしろその逆で、たくさんの収穫があると思います。
例えば、何かを自分だけ知らないとします。ここで「恥をかきたくない」と思って知ったふりをしても、それを知ることができません。
逆に恥を忍んで教えて貰えば知識が増えて、更に恥をかいたお陰で心に深く残り、忘れないというメリットがあると思います。
■恥を恐れない
「恥を恐れない」というスタンスでいることは、多くのことに挑戦出来るというメリットがあります。
普通なら物怖じしてしまうことにも失敗や恥を恐れないで挑戦することは、より多くの新しい技術や経験を積むことができるでしょう。
■恥をかくことが怖い理由
恥をかくことが怖いのは、自分が他人からどう思われているか、自分自身がその評価を気にし過ぎているからに過ぎないのです。
恥をかいてでも挑戦する行為は、吾輩たちを成長させてくれるのではないでしょうか?
誰かが、勇気を出してやって失敗したことを吾輩たちは笑うのでしょうか?
むしろその逆ではないかと思います。
例えば、外国の人がつたない日本語で一生懸命に道を聞いて来た時、吾輩たちは何とかコミュニケーションをして、問題を解決してあげたいと思ってしまうのではないでしょうか。
その人の日本語が可笑しいとは全く思わないと思います。そればかりか、時間があるならばその場所まで案内してあげたい気持ちにさえなるかもしれません。
恥を恥ずかしいと感じているのは、いつでも吾輩たち自身であるのかもしれません。
無意識に自分が自分を信じられないで、自分自身をバカにしていると相手からバカにされているように感じるだけなのかもしれませんにゃ🐈
■目的を果たす
恥をかくことで、目的を果たすことができるとも思います。
例えば、今度は逆に吾輩たちが外国に行って、下手な現地の言葉を使って何かを伝えなければならない時、恥ずかしいと思って自信なさそうに尋ねるのと、恥を恐れず自信満々に尋ねるのでは全く通じ方が違うのです。
吾輩も海外で長く暮らしていた時に、現地の友人に「自信をもって話さないと通じないよー」と言われて、恥をかくことを忘れて思い切り堂々と話すことで、どんどんコミュニケーションを取れるようになりました。
恥をかくことで目的が果たされるのですにゃ🐈
■恥をかくことを恐れない

恥をかくことが怖かったり、恥ずかしいと思うのは、自分自身の思い込みに過ぎないのかもしれません。
〇〇でなければかっこ悪いとか、〇〇でなければ笑われるんだと信じて疑わないのは、吾輩たち自身の思い込みに過ぎなかったのです。
人生どん底の時に「チャンス」が転がっているのと同じように、「恥」を恐れず行動することで大きな収穫があるのではないでしょうか。
恥をかくことは、むしろかっこいいことなんじゃないかと思います。
真実は逆だからです。
恥ずかしいと思い込んでいるのは、自分自身であるということ。
恥をかくことで、たくさんの収穫があり、恥をかいたからこそ心に深く残る忘れ難い経験となるのかもしれませんにゃ🐈
そして、そんな経験は財産になるのだと吾輩は思います。