■幸不幸は表裏一体⁈

毎日をつまらなくすることも、毎日を楽しむことも、全て自分自身が決めているのですにゃ🐈

幸不幸は表裏一体なんだよ」とどこかで聞いたことがあるかもしれません。

同じことが起こっても、自分の捉え方ひとつで、幸せにもなるし、不幸にもなるのです。

吾輩たちの心のフィルターを通して、世界を見ているので、同じことがあっても、見方によってはネガティブにもなるし、見方によってはポジティブにもなるのです。

また、不幸だと思っていたことがきっかけとなり幸せに転じたり、幸せを掴んで調子に乗っているとたちまち不幸に転じてしまうのですにゃ🐈

■禍福は糾える縄の如し

幸不幸は表裏一体だということをよく表現している

禍福(かふく)は糾える(あざなえる)縄の如しということわざがあります。

禍福は糾える縄の如しとは「幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだ」というたとえなのですにゃ🐈

災いと幸福は常に隣り合わせにあって、また裏と表の関係なのです。

だから、落ち込むことがあってもいつまでも落ち込むことはないのです。

幸せなことがあった時こそ、気を引き締めて、謙虚と感謝で過ごさなければならないのですにゃ🐈

■人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)

「人間万事塞翁が馬」とは「幸福や不幸は予想し難いものだ」というたとえとして有名なお話しです。

不幸だと思っていたことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。

だから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというのですにゃ🐈

「人間万事塞翁が馬」のお話しは、「生きる道しるべ」として現代まで人々を魅了する思想書「淮南子(えなんじ)」に収録されています。

※中国の前漢時代に、淮南王(わいなんおう)が学者たちと編集した有名な書物です。

人間万事塞翁が馬

ある塞(城塞)のほとりに、占いが上手な老人とその息子が暮らしていました。

ある日、彼らの馬が突然逃げ出してしまいました。

周囲の人々は馬を失った親子を気の毒がって、老人をなぐさめに行きました。

けれども、老人は平然とこう言うのです。

「不幸かどうかは果たして分からんよ。もしかすると良いことがあるかもしれないよ」と。

このことが幸福に繋がるかもしれないよと言うのです。

間も無く、逃げ出した馬は立派な名馬を連れて戻って来ました。

不幸が転じて幸福となったので、周囲の人々は親子の幸福を感心しました。

けれども、老人は相変わらず平然と今度は逆にこう言うのです。

「もしかしたらこれが災いのもとになるかもしれない」 と。

間も無く、息子がこの馬から落ち 脚が不自由となってしまいました。

周囲の人々は、また同情しました。

老人は同情する人々を見て「このことが幸福を呼ぶことになるだろう」と全く動じることはありませんでした。

その後、戦争が起こりました。

町の若者はみんな戦いに行きました。そして、ほとんどの若者が戦死してしまったのです。

足が不自由だった老人の息子は、戦争に行くことはなく、無事だったのですにゃ🐈

世の中は、不幸に見えることが幸福に転じたり、逆に幸福に見えることが不幸に転じたりするのです。

目に見える現象に「一喜一憂」するべきではないのかもしれませんにゃ🐈

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