吾輩たちの生きているこの地球上では、毎日様々なドラマが繰り広げられています。
楽しいこと、嬉しいこともあれば、辛いこと、悲しいこともあるでしょう。
人生楽ありゃ苦もあるさなんです。
幸せをありがたがって、不幸も勉強としてありがたがっていれば、不幸のスパイラルに陥ることはないと吾輩は思っています。
このブログでも、度々紹介している■悪いことが続く時は、チャンスかもしれない⁈だとか■チャンスはピンチの顔をしてやってくる⁈など、ピンチやどん底には大きなチャンスがあると信じているからなのですにゃ🐈
不幸自慢をすることは、なぜいけないのでしょうか?
■不幸自慢は不幸を引き寄せる?
不幸自慢というのは、自分がいかに不幸であるかを証明する為に、今まで起こった不幸を探し集めて、誰かに話すことですよね。
そうです。
不幸にばかり注目しているのです。
不幸、ネガティブな話しをして自分がいかに可哀想なのかを証明しようとしているのです。
更に、不幸を盛っていることもあるかもしれません。
どんなに自分が不幸であるか、苦労したのかを「誰かにわかってほしい」という思いがあるからかもしれません。
或いは「認めてほしい」気持ちがあるからかもしれませんにゃ🐈
けれども、不幸自慢をしても幸せにはなれないのです。
人は誰もが「認められたい」思いを抱いています。認められたい思い(承認欲求)が強すぎると、逆に自分を苦しめることになりそうです。
“不幸自慢”をするのではなく、失敗やピンチをチャンスに変えることで、不幸を幸せにひっくり返すことができます。
それに、不幸な話しは更に不幸を引き寄せてしまうのです。
■不幸はチャンス?
不幸の中にこそ、チャンスがあることに気づくまでは、似たような不幸を繰り返してしまうんです。
なぜなら“気づいてほしい”からです。
吾輩たちは失ってはじめてその価値に気づきます。
それが、どんなに“ありがたい”ことだったのかということにやっと気づけるのですにゃ🐈
不幸を悲観していては、少しもったいないとさえ思います。
不幸をチャンスと捉えることで、吾輩たちはやっと人生のスタートラインに立つことができるのかもしれません。
失敗した…
悪いことばかり起きる…
ドン底です…
落ち込むかもしれませんが、そんな不幸に見えることは、吾輩たちの人生を変えるチャンスであり、転機だということ。
不幸は嘆くものではなかったんです。
不幸に見えることこそが、幸せに導く”きっかけ”や”気づき”を与えてくれるチャンスであり、振り返ると”転機だったと思う”ありがたい経験となるのかもしれませんにゃ🐈
幸せになりたいなら不幸自慢をするな
バートランド・ラッセル