自分の価値観と相手の価値観が違う時、吾輩たちは「どうしてわかってくれないんだ」と嘆いてしまうこともあるかもしれません。
悩んでしまうこともあります。
けれども、合わないこと“違うこと”こそが当たり前(普通)なのですにゃ🐈
例えば、自分の考えが世間とずれていると悩んでいたとしても、ずれていることが異常なわけではないのです。
違うことがむしろ当たり前なわけで、違うことに苦しまなくてもいいのです。
そう思えば、心が軽くなります。
もっと自由になります。
同じように、自分が良いと思っていることが、他者にとって必ずしも良いとは限らないのです。
自分の正義=他者の正義とはならない
自分の当たり前=他者の当たり前ではない
違うことが当たり前なので、違うからといって、落ち込まなくてもいいのです。
■価値観の違う人との付き合い方

■価値観の違いを否定しない
価値観が合わないと…まるで自分を否定されているようだ…そんな気持ちになってしまうこともあるかもしれません。
価値観が合わないと…なんとなく分かり合えないと距離を置いてしまうかもしれません。
逆に価値観が合うと、自分が認められているような、そんな風に感じて心地がいいですよね。
価値観が違うと、相手を批判してしまったり、相手から批判されることもあります。
違う価値観を持っていることは当たり前なのに、その違うことで悩むのです。
お互いに「どちらが正しいとか間違っている」とジャッジし合っているのです。
否定し合っている。
これはでは、かなり生きづらいですよね。
では、“人の数だけ価値観はある”この事実とうまく付き合う方法はないのでしょうか?
■盗人にも五分の理を認める⁈
吾輩たちは、誰もが自分は正しい、間違っていないと主張することに余念がありません。
誰もが“認められたい”気持ちを少なからず持っているからかもしれませんにゃ🐈
世界的なロングセラー「人を動かす」の著者“ディール・カーネギー氏”は、著書の中でこんなことを言っています。
例え、犯罪者であっても自分は正しいことをした、自分は間違っていない、悪くないと思っていると言います。
本の中で紹介されているエピソードをひとつ例にしてみます。
あらすじ
1931年のニューヨーク市で、凶悪な殺人犯である“2丁ピストルのクローレー”は、数週間にわたる捜査の結果、ついに追いつめられて、ガール・フレンドが住むアパートに逃げ込んだ。
ニューヨークの高級住宅街に、ピストルと機関銃の銃声が、1時間にもわたってとどろくことになったのである。
実に、ニューヨーク空前の大活劇となった。
逮捕された時の発表によると、この“2丁ピストルのクローレー”はニューヨーク犯罪史にもまれにみる凶悪犯で“針の先ほどのきっかけ”からでも簡単に人を殺したという。
ところで、このクローレーは自分で自分のことをどう考えていたのだろうか。
クローレーが、乱戦の中“関係者各位にしたためた手紙”の一節に次のようなことばが記されている。
「わたしの心ーそれは疲れ果てた心ではあるが、やさしい心である。だれひとり、人を傷つけようとは思わない心である」。
クローレーが刑務所の電気椅子に座る時、「こうなるのも自業自得だー大勢の人を殺したのだから」といっただろうかーいや、そうはいわなかった。
「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ」。
これが、クローレー最後のことばであった。
右にあげた極悪犯でさえも、自分が正しいと思い込んでいるとすれば、彼らほどの悪人でない一般の人は、いったい自分のことをどう思っているのだろうか。
ディール・カーネギー氏は本書の中でこう提案しています。
■他人の粗探しは、何の役にも立たない。
■人を非難するのは、ちょうど天に向かってつばをするようなもので、必ず我が身にかえってくる。
■人を非難するかわりに、相手を理解するように努めようではないか。
■どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えて見ようではないか。
■その方がよほど得策でもあり、また、おもしろくもある。
■そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれてくる。
■「価値観の違い」は面白い(おもしろい)

吾輩たちは、人から認められたい生き物のようですにゃ🐈
認められたいのに、立場が変わると今度は批判や非難をもしてしまうのです。
カーネギー氏の言うように、非難するよりもまず理解するように努めるべきなのかもしれません。
人がそれぞれ違った価値観を持って生きている以上、違うことを批判したり、非難するよりも“違うことをおもしろく思う”ほうが、よほど健全で楽しいのではないでしょうか?
価値観の違いは面白いんです!
人それぞれに違った価値観があり、人それぞれに得意分野も違いますよね。
ドラマや映画、物語の中にはたくさんのキャラクターを登場させています。
吾輩たちの日常生活も、人生というドラマだと思えば、価値観が同じような人も、全く違う人も、もっと自然に受け入れられるのかもしれません。
たくさんのキャラクターの人々を、おもしろいと思うだけで、むやみに非難したり、腹を立てたりしなくて済みそうです。
そうでなければ、お互いに否定し合うのを避けることはとても困難だと思うのです。
■価値観が合わない人(違う人)とどう付き合うのか?
吾輩たちは、誰もが“認められたい”という欲求を持っているのと同じくらい“否定されることは好きではない”生き物なのですにゃ🐈
だとしたら、
どんな人と接する時も
その相手をよく観察して
その人の良いところを心から感心したり、心から褒めることがうまく付き合うコツになるのではないでしょうか?
なぜなら、吾輩たちは否定されることを嫌う生き物だからです。
相手の粗探しはしないで、
相手の“素晴らしいところ探し”をするのです。
そして、価値観が違うことを“おもしろい”と捉えることで、もっとスムーズに新しい考え方を知ることもできそうです。
自分から先に、相手に興味を持ち、相手の価値観を知ろうとすること、否定しないこと。
相手の価値観と自分の価値観のどちらが正しいかと比べないこと。
違う価値観から新しい考え方やインスピレーションをもらういい機会だと思えば、なおさら“おもしろく”思えるのではないでしょうか?