人に嫌われたいと願う人は、果たしているのでしょうか?
「私のことを嫌いになってください。」とはじめからそんな風に思う人は、あまりいないように思います。
逆に「好かれよう」とか「嫌われたくない」という思いが強くなると、相手の気持ちは御構いなしで何も起こっていないうちから「不安」「心配」といった悩みに翻弄されてしまうのです。
嫌われることを必要以上に怖がっていても、嫌われないように「いい人」を装っても、嫌われる時には嫌われるもの。
相手から嫌われるかどうかと心配してもいい結果は得られないと思います。
■嫌われることを恐れない
■こんなことしたら、嫌われるかも…
■こんなこと言ったら嫌われるかも…
相手に「嫌われるかも」と、
何も出来なくなる…
だから、不自然になる。
だから、自分を抑え込む。
だから、言いたいことが言えない。
そして、ストレスが溜まる。
嫌われることが怖くて、自分のことを蔑ろにしてしまうのです。
どんな人でも、どんなにいい人に見えても、いいことをしようと何をしても、嫌われる時には嫌われるものなのです。
なぜなら、あなた様を嫌う人の「心の投影」という形で、あなた様を嫌うからです。
■嫌われるのが怖いを嫌われても大丈夫にする

■相手の反応を気にしなくてもいいのです。
■こちらが普通に誠実に振舞って、もし嫌われたのなら、それでいいのです。
■嫌われるかどうかは、相手が決めることだから、こちらは何も考えなくていいのです。
■世の中の人みんなに好かれるはずはないのだから、嫌われたにピントを合わせないで、受け流せばいいのです。
■嫌われることが怖くて何も出来ないよりも、思いっきり自分のやりたいことをやった方が、あなた様本来の良さや悪さに共感する人と繋がる「きっかけ」になるのです。
■「嫌われてもいい」とは?

「嫌われてもいい」と言うのは、開き直るでも、ヤケになるのでもなくて…
「全ての人から支持されるわけではない」と気づき、それを受け入れることだと吾輩は思います。
嫌われるにピントを合わせるのではなく、自分らしくのびのびと、言いたいことも言うし、やりたいこともやるのです。「嫌われる」と思うから余計にぎこちなくなってしまうのかもしれませんにゃ🐈
「嫌われれても大丈夫だ」と思うと、誰にでも卑屈にならなくて済むからオススメな考え方だと思います。
是非とも身体の中心足先から頭のてっぺんまでに自分の軸があるとイメージしてみてください。
きっと、怖いものなんて何もないって思えるほど、凛としたあなた様がいると思います🐈
あなた様を嫌う人もいれば、逆に支持する人もいる。それを受け入れるだけで、もっと気楽にもっと自由に生きていけそうです。
嫌われることを恐れず、自分の人生を謳歌したいですにゃ🐈