写真家でエッセイストとして、素敵な作品を残した星野道夫さんの写真を見たことがある人も多いのではないでしょうか?
2016年8月は、星野道夫さん没後20年だったこともあり、星野道夫さんの写真展、雑紙BRUTUSでも紹介されていました。
吾輩が星野道夫さんを知ったのは、海外から引き上げてきた40代になってからのことです。
星野道夫さんの写真と言葉には、吾輩たちの心をじんわり温めてくれる優しさを感じます。
静かな感動に包まれます。
それは、ひとつひとつの作品に星野さんの魂が込められているからなのかもしれません。
今日紹介したいのは、ロングセラー“旅をする木”です。
暖かな言葉のひとつひとつを大事に読みました。
星野道夫さんの味わい深い言葉を辿っていくと、まだ行ったことも見たこともないアラスカの広大な大地が、まるで映像を見ているかのように浮かび上がってきます。
静けさに耳を澄ますと、
壮大な大自然の
さまざまな音が聞こえてきます。
あまりにも繊細で心地良い文章に癒されながら、同時に急いで読んではなんだかもったいないような気持ちになってしまう…
圧倒的な大自然の静けさ
深い森の木々
動物たちの気配
アラスカで生きる人々の暮らし
生と死
遠い世界から打ち上げられた漂流物
カリブーの旅の記録
もうひとつの時間…
旅をする木
そして、この本は吾輩にとって大切な本になりました。
■旅をする木 心に沁みるコトバたち
1978年に星野さんがアラスカに旅立つ頃のこと
あの頃、僕の頭の中は確かにアラスカのことでいっぱいでした。まるで熱病に浮かされたかのようにアラスカに行くことしか考えていませんでした。磁石も見つからなければ、地図も無いのに、とにかく船出をしなければならなかったのです。
旅をする木 新しい旅より
南アメリカの山岳地帯を旅していると、ある日、シェルパーがストライキを起こし、もう一歩も歩けないと言います。
理由を聞くと、こんな答えが返ってきました。
“ 私たちはここまで早く歩き過ぎてしまい、心を置き去りにしてきてしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはここで待っているのです”
旅をする木 ガラパゴスより
これは、星野道夫さんが昔読んだ探検隊の本の中の一節です。
吾輩たち日本の多くの人は、長くも短い人生を中々立ち止まることがありません。
“心がこの場所に追いつくまで待っている”
そんな時の流れもあるんだな…
なんて贅沢なひとときなんだろう…
無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じることができる。自然とは、何と粋なはからいをするのだろうと思います。一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数を数えるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません。
アラスカの秋は、自分にとってそんな季節です。
旅をする木 北国の秋より
東京で忙しい日々を過ごす編集者の友人が、一週間だけ星野さんのクジラを撮影する旅に参加し語ったこと。
「東京での仕事は忙しかったけれど、本当に行って良かった。何が良かったって?それはね、私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと……東京に帰って、あの旅のことをどんな風に伝えようかと考えたのだけど、やっぱり無理だった。結局何も話すことが出来なかった……」
ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。
旅をする木 もうひとつの時間より
アメリカに旅に出た時の話
多くの選択があったはずなのに、どうして今自分はここにいるのか。なぜAではなく、Bの道を歩いているのか、わかりやすく説明しようとするほど、人はしばし考え込んでしまうのかもしれない。誰の人生にもさまざまな岐路があるように、そのひとつひとつを遡ってゆくしか答えようがないからだろう。
ぼくにとっての初めての旅は、十六歳の時のアメリカだった。
中略
旅を終えて帰国すると、そこには日本の高校生としての元の日常が待っていた。しかし、世界の広さを知ったことは、自分を解放し、気持ちをホッとさせた。ぼくが暮らしているここだけが世界ではない。
さまざまな人々が、それぞれの価値観を持ち、遠い異国で自分と同じ一生を生きている。
旅をする木 十六歳の時より
■星野道夫さんがアラスカに行くまで
星野道夫さんは、千葉県市川市に生まれました。
小学生の頃、近所の映画館で偶然観たタヒチ島が舞台の映画。サメと友達になった原住民の少年チコとヨーロッパから観光で訪れた少女の淡い恋の物語です。
星野さんは映画の背景に広がる南太平洋の青さに魅せられます。
突然、世界の広がりを見せられたことが衝撃的だったといいます。
やがて、星野さんは北海道の原野に強い憧れを抱くようになりました。
大都会東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人込みにもまれている時、同じ日本でヒグマが日々を生きていることが脳裏をかすめるようになっていったんです。
そして、中学生の頃から夢見ていた初めての旅へと繋がってゆきました。
星野道夫さんは16歳の時、1968年ベトナム戦争の傷跡が残るアメリカに旅立ちます。
ブラジルに向かう移民船に乗り、遠い異国の地アメリカをヒッチハイクをしながら放浪するそんな旅でした。
大学生となった星野さんは、19歳の時神田の古本屋で見つけたアラスカの写真集に完全に魅せられてしまい、1978年にアラスカに旅立ちます。
船出をせずにはいらなかったからです。
星野さんは、“旅をする木”の中でこんなことを言っています。
今思い返せば、自然を違った見方で意識する出来事がいくつか自分にもあった。そのひとつひとつがアラスカに来るまでの小さな分岐点になっていたような気がする。
星野道夫さんは、広大な大地に魅了されて、その大地に生きる命の脆さ、儚さに着目し続けていたのかもしれません。
“旅をする木”には、「生きていることが奇跡なんだ」ということを、あらためて考えさせられるメッセージがたくさんありました。
※このページに載せているアラスカの写真は星野道夫さんの作品ではありません。
アラスカのイメージ写真です。