あなた様も“老荘思想”や“道教”或いは“老子”をご存知かもしれません。
老子先生は、古えの中国の思想家として有名ですが、実在の人物かどうかは定かではありません。
タオイズムの先駆者であり、自然と一体化した教えは「心地よさ」があり吾輩も大変気に入っています。
老子の言葉は、「大器晩成」や「足るを知る」など日本でも馴染み深いものがたくさんあります。
そのひとつに「上善は水の如し(じょうぜんはみずのごとし)」という教えがあります。
上善は水の如し(不争の徳(1))
最高のまことの善とは、たとえば水のはたらきのようなものである。水は万物の生長をりっぱに助けて、しかも競い争うことがなく、多くの人がさげずむ低い場所にとどまっている。
老子 無知無欲のすすめ 金谷 治
講談社学術文庫より引用
老子先生は、吾輩たちにとって無くてはならない存在である水について、最高の善とは「水のようなもの」だというのです。
そして、こう続きます。
「水」は、吾輩たちや全ての万物に多くの「恵」を与えてくれるにもかかわらず、ちっとも奢ったり威張ったりすることがない。
競ったり、争ったりする気持ちなど微塵もない。
そして、いつでも平然と高いところ(上)から低いところ(下)に向かって流れ、最後には一番低い場所に留まる。
時には、岩をも砕く強さをも持ち合わせている。
このような「水」の在り方を、老子先生は「上善如水」、「水の生き方こそが最高の善」なんだよと言ったのですにゃ🐈
■上善は水の如しとは?
■利益を与えているのに、奢るとか威張るということがないのです。
■他者と競ったり、争ったりする気持ちが全くないのです。
(それは、自分がありのまま自然に身を任せた自然体だと言えそうです。)
■いつも高いところから低いところに流れ、一番低い場所に留まるのです。
(自分が自分がと目立つことがなく、常に謙虚でいることと似ています。)
■時には岩をも砕く強さも持ち合わせているのです。
(自分の軸を持っているようです。)
いつも自然体の「水」。
吾輩たちが何か煮詰まってしまった時に、「水の生き方」「水の流れ」を思い出すことで、穏やかな気持ちを取り戻すことが出来そうな気がします。
「水の生き方」は最高の善なのです。