生きていると、理不尽なことに遭遇してしまう時があります。
理不尽な思いをする時、なんだか悔しいような、悲しみや虚しさ、あるいは怒りにも似た気持ちになってしまうかもしれません。
世の中は理不尽で溢れています。
では、理不尽を回避する方法はないのでしょうか?
まずは、なぜ理不尽が起きるのかを考えてみましょう。
■なぜ理不尽が起きるのか?
人は誰でも、“自分は正しい”という思いを持っています。
自分の価値観や正義、道理を人それぞれに持っているんですね。
“自分は正しい”
“自分は間違っていない”
自分の価値観や正しさと相手の価値観や正しさがぶつかる時、理不尽が起こります。
だから、いつでも理不尽は起きるのですにゃ🐈
大抵の場合、立場的に理不尽を飲み込む側の人が理不尽な思いをすることになります。
“人は誰でも自分の価値観や正しさを間違っていないと思っている”
だから、指摘されたり、批判されることは好きではないんです。
正しさと正しさがぶつかって理不尽は出来上がるんですね。
では、理不尽を回避する方法はないのでしょうか?
■理不尽を回避する方法
■譲ること

“人は誰でも自分を正しいと思っている”
“人は誰でも自分は間違っていないと主張したがる”
これに気づくだけで、理不尽を回避することができると思います。
声を大にしては言いませんが、人は誰でもこんな気持ちも持っています。
・自分の面子を守りたい。
・恥をかきたくない。
・損をしたくない。
相手の正しさと自分の正しさは合致しないかもしれません。
正しさは、
例えば、国や地域によって、立場や状況によって、あるいは価値観や考え方によって違うものだからです。
だから、正しいか正しくないかを競い合っても無駄なんですね。
そこで、気持ちよく相手に譲ることができれば理不尽は理不尽でなくなります。
“譲る”ことで、相手に恥をかかせなくて済みそうです。
相手の面子を守ることにもなるでしょう。
長い目で見た時に、譲ることで敵を作らず、いい関係を保ち、相手が困った時に助け、自分が困った時に助けられる関係にしていくのが理想なんですね。
そんなに簡単ではありませんが、譲ること相手に恥をかかせないことが理不尽を回避するためには必要な要素だと思います。
■好意的にみること

吾輩たちは、一人ひとり自分の経験や体験を通して“マイルール”を持っています。
例えば、人には絶対に迷惑をかけてはいけないというマイルールを持っていたとします。
そこに、迷惑をかけてくる人が現れたとします。
あなた様は、自分のマイルールを発動させ、迷惑をかけてくる人を苦手に思ったり、嫌いになるかもしれません。
自分のマイルールを破っている人は、理解できないからです。
自分自身が作ったルール(〇〇でなければならない)と合わないことをする人を苦手になってしまうのです。
苦手な人や嫌いな人は吾輩たちのこだわりを教えてくれているとも言えそうです。
理不尽を回避するためには、どんな相手でも“好意的にみる”のもいい方法です。
自分のマイルールを破る相手にもです。
人は自分に対して好意的に接してくれる人に、自分も好意的に接したいという気持ちになるからです。
心理学の世界では好意の返報性と呼ばれています。
人間は感情の生き物ですから、自分に好意的な人を大目に見るところがあるんですね。
■許すこと

吾輩たちは誰であれ、良い面(長所)と悪い面(短所)を併せ持っています。
良い面(長所)と悪い面(短所)が表裏一体、ワンセットだからです。
自分の良い面(長所)と悪い面(短所)に向き合い、認めて許すことで誰かからの批判や指摘に無闇に傷つかない、反発しない心を手に入れることができるのでおすすめです。
自分の良い面は自尊心を育てるでしょう。
自分の悪い面は、許したり寛大な心を育てるでしょう。
誰かから指摘されたり、批判されることは誰だって好きではありません。
でも、自分の悪い面(短所)を自分で認め、受け入れて、許すことで誰から何を言われても反発しないで聞くことができます。
自分の悪い面(短所)を自分自身が認められないと…
素直に聞くことができないかもしれません。
苦しくて反発してしまうかもしれません。
ついムキになってしまうかもしれません。
逆に自分の悪い面(短所)を自分自身でよくわかっている、認めていると…
素直に聞くことができるんです。
反発しなくなるんです。
ムキにならずに済むんです。
自分自身の良い面(長所)と悪い面(短所)に向き合うことで、相手にも同じように良い面(長所)と悪い面(短所)があることを実感できるんですね。
理不尽を回避するには、自分の悪い面(短所)を認めて許したように、相手の悪い面(短所)も認めて許すことです。
嫌な感情は、やはり相手に伝わるもの。
自分にいい感情を抱かない相手を、なんとなく感じ取っているんです。
誰にでも、長所もあれば、短所もあることを海のような寛大な心で受け止めれば、相手もまた同じように寛大な気持ちになるものだと思います。